『ロータリーの友』に掲載された当クラブ会員の卓話
例会で話した内容は,各クラブで発行される会報に載り,優れた卓話は選ばれて全国誌『ロータリーの 友』に掲載されます。(ゲストの卓話を聞いたり,自分の職業や趣味などに関するこのような卓話を例会で 話しています)
「ラーメンのルーツ」
涌井 雅英
「奥深い」
The Object of Rotary

桑原 薫
「中国の医療事情」
西川 哲夫
「お香の癒し効果」
伊東 淳子
「噛んで予防」
斉藤 滋
「浮世絵の源氏絵」
伊東 淳子
「木の文化」 日本の入れ歯
大野 粛英
「ヒトの足」
東 璋
「お茶の話」
亀ヶ谷邦博
「曼珠沙華」
田中 昇
「仏教伝来と歯みがきの歴史」
大野 粛英


「中国の医療事情」
(独)労働者健康福祉機構 横浜労災病院 院長 西川 哲夫
中国・北京を訪れる場合、大気汚染のため、呼吸器系疾患やアレルギーのある方は、マスクを常に持参すべきです。 けがや病気で困ったら、在中国日本大使館に相談するのも一法です。 適切なアドバイスや診療施設の紹介、場合によっては即時帰国を指示されることもあります。
 北京では最近、日本と同程度の診療を受ける際、医療器材の消毒が完全か否か注意すべきです。 現在では、消毒、衛生観念が十分に行き届いていると言っても、すべてが共通認識で医療行為を行っているとは限りません。 医療行為から感染する疾患は、梅毒、エイズ、肝炎、マラリアなどです。 例えば、日本のように血液採取時に感染症の有無を十分に検査する体制が確立させているとも思えません。 従って、交通事故をはじめ外傷や、大出血をきたす可能性のある胃潰瘍などの消化器系疾患には十分注意する必要があります。 また、医療を受ける場合、使用する注射器が使い捨ての安全なものかどうかチェックする必要があり、日本から注射器などを持参するほうがよいと指導されることもあり、高血圧など慢性疾患がある方は、内服薬を必ず持参してください。
 大都市では人ごみの中で行動する機会も多く、インフルエンザなどにも感染しやすいですから、手洗いやうがいを励行すべきです。 大きな問題の一つが結核菌の感染。 極めて感染力の強い菌ですから、人ごみの中で知らぬ間に感染してしまうことがあります。 比較的、咳、痰に大様な国民性ですから、注意してください。 もちろん、見た目に不潔そうな食べ物屋などでの食事はなるべく避けてください。 熱を通してあっても、かなり使い古させて油で調理されていることもあります。
 中国はいまだに鳥インフルエンザの撲滅はできていない状況です。 中国を訪問する際は、感染情報を事前にチェックすることが必須です。 旅行保険に加入し、特に緊急搬送時の支払いが可能な保険を選んでから、中国や東南アジアへお出かけになることをお勧めします。
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCにて・同RC会員)
2014年11月号


「お香の癒し効果」
活ノ東工務店代表取締役 伊東 淳子
  久し振りの卓話ですので、私の趣味の一つである「お香」についてお話します。今年の夏は節電対策もあり暑かったです。 これから夏の疲れが出てきます。そんな時に神経を癒す効果のあるお香を上手に活用して、夏の疲れから癒されるひとときをお奨めします。
  お香と言うと、お仏壇のお線香と香道を思い浮かべると思います。 お香の材料は殆どが自然の漢方薬で、粉末にして飲めば病に効き、それらをブレンドして蜜で錬りお香として焚けば、香りが直接嗅覚によって脳の「海馬」に伝達され、その刺激を受けて自律神経系が活性化され、正常に働くように脳から指令が出ます。 「気持ちが落ち着く」「心地良い」と感じ深いリラックス状態が得られます。 このメカニズムがお香の癒し効果なのです。
  香道は香木=沈香を対象として、香りの微細な違いを鑑賞して楽しみます。 香りはヨーロッパでは液体を使った「香水の文化」として、東洋では固形の原料に火を使う「お香の文化」として発展しました。 日本においてお香の最古の記録は「日本書紀」に記されています。
  595年淡路島に流木が流れ着き、焚き火にくべたらあまりに良い香りが一面に広がった為、驚いた漁師が朝廷に献上したと伝えられています。 平安時代になると、貴族の間で「たしなみ」として発展します。 源氏物語や枕草子で「薫」「匂」という文字が頻繁に登場しているのも、当時の貴族にとって「香り」が生活の一部であった事を物語っています。 平安貴族の間で楽しまれていたのが、漢方薬を蜜で錬ったお香「錬香(ねりこう)」です。 それぞれ独自の調合で作り、御家の秘伝とされて、香りで人を判断出来たとも言われています。 錬香は現代ではお茶席の炭の匂いを消すものとして使用されますが、複雑で奥深い香りを楽しめることから多くのファンの間で普段使いとして楽しまれています。 私も自分でオリジナルのお香を作って楽しんでいます。 お線香は練香を成型し、乾燥させたものです。
  香道で使われるのは沈香、檀香、和木の三種の香木で、練香や線香は使われません。香木の総称を沈香といいます。
沈香は主に熱帯地域の国々で産出されますが、数百年間地中に埋もれていて、種々の自然要素が重なって香木となるもので、人工で出来るものではありません。 まさに地球からの贈り物=宝物なのです。 地中に埋まった木が腐り始めると、その面の下から樹脂を出し腐敗が進まないよう防御します。 樹脂の層が長い年月の間に厚く成長し、ある種のバクテリアの働きで沈香となります。 沈香は常温では香りを発しませんが、摂氏150度以上に加熱すると樹脂の成分が蒸発し、香りとして感じられます。 しかし、中には伽羅のように上質なものは常温でも薄い香りを発します。 色が黒く、紫外線に強く、常温で揮発しない為、長い年月貯蔵しても全く変質しません。千年以上保管されているものでも、焚けば香りを発するのです。
  癒しのメカニズム:沈香を焚いて香りを聞く
  ⇒海馬を刺激する
  ⇒脳の神経細胞が活性化される
  ⇒自律神経系や記憶の活性化の指令が脳から発せられる
  ⇒神経細胞を緩和する
  ⇒血管を開いて血流、呼吸、心拍を整える
  ⇒リラックス状態になる、心地良さを感じ、気持ち良くなる
    記憶を司る脳はシャープさを継続する
  現代社会では常に緊張の連続です。 その上、大気もプラスイオンが強くなっていて、血液は浄化されにくく、緊張が続けば血流も悪くなります。 夏の疲れを癒す為にもお香を上手に活用してみて下さい。 特にお香を焚いて、お茶を飲むのは効果的です。 香木は鎮静作用があるので熱のある時や心臓の弱い方も安心して楽しめます。 また、空気中に浮遊する雑菌の活動を弱め、空気を清浄にする効果もあります。 但し、同じ香りでもアロマオイルや香水などでお花の香りは興奮を誘う香りです。 ロマンチックな演出の時や楽しいパーティの宴席などにお使い下さい。 更に盛り上がる事でしょう!
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCで・同クラブ会員)
2012年3月号


噛んで予防
元神奈川歯科大学教授 斉藤 滋

JANUARY 2011 VOL.59 NO.1
 「よく噛む」ことは体だけでなく、脳の健康にも密接に関与し、肥満防止や記憶力・思考力の向上、認知症や誤嚥性肺炎(食物が気道に入り込んで起こる肺炎)の予防にとても効果があります。 早食いを防止・噛むコツ4つを紹介します。
@舌技の訓練
水を口に含み、飲み込まないように上を向きます。 舌の後ろ側(舌根(ぜっこん))でのどにふたをした状態になります。 次は、口に水を含んだ状態のまま、舌の先端(舌尖部(ぜっせん))を動かす練習。 「舌先三寸」と言われるように、舌の先端は器用に動くものです。 頬や口蓋(口内の天井)、口腔底(舌の下)など、どの個所でも舌先で触る、押すことができるように練習してください。
A噛み方の基本練習
食べ物を口に入れたら箸を置く。 次に舌で食べ物を右側の歯の間に移動させ、5回噛む。 再び舌を使って食べ物を左側の歯の間に移動させ、5回噛む。 再度左右の歯で5回ずつ噛むことを繰り返す。 最後に両側の歯で自由に10回噛む。 これで30回噛みました。
B飲み込むタイミングの訓練
ごっくん、と飲み込む動作「嚥下」の意識。 1口で何回噛むかが問題なのではなく、口の中におかゆ状の食塊ができるまで噛むことがコツ。 この「食塊形成を意識」した時が飲み込むタイミング(1口30回が目安)。 この習慣は、高齢者に多い窒息死や誤嚥性肺炎の予防に効果的です。
C肥満症・糖尿病予防に
食事の前に好きなガム1枚を5〜10分噛む。 食事中は1口30回噛み、食後はキシリトール入りのガム(口臭・虫歯・歯周病予防)を5〜10分噛む。 ガムは満腹中枢を刺激するので、食事量が2〜3割減り、体重が減少、肥満防止となります。
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCにて)
2011 VOL.59 NO.1


「浮世絵の源氏絵」
活ノ東工務店代表取締役 伊東 淳子
  今年、2008年は「源氏物語」が記録の上で確認されてから、ちょうど千年になります。 「源氏物語」からは、さまざまな芸術が派生していますが、「源氏物語」を題材に描いた、「源氏絵」という絵のジャンルがあります。 絵巻、扇面絵、屏風絵など、形式は多様です。
  江戸時代の1829(文政12)年、柳亭種彦(1783〜1842)の合巻本「偽紫(にせむらさき)田舎源氏」がベストセラーになり、源氏ブームが起こりました。 合巻本は江戸後期に流行した絵を主体とする草双紙(くさぞうし)の一種で、この本は38編152冊から成り、「源氏物語」の世界を室町時代に移して書かれたものです。
  三代歌川豊国(1786〜1864)は国貞と名乗っていたころ、この源氏ブームを背景に、見立て絵として「源氏絵」を描きました。 光源氏を室町御所の足利光氏に置き換えつつ、江戸時代の大奥、将軍の生活を浮世絵に描いたのです。 よって、江戸時代最高のぜいたくが絵の中にちりばめられ、着物の柄や髪形は流行の最先端。 「源氏絵」は武家から庶民に至るまで、女性のファッションをリードするものでした。
  元となった合巻本は大奥を書いたとうわさされ、天保の改革(1841〜43)によって絶版を命じられてしまいましたが、豊国の浮世絵の方は流行をつくりつつ、大量に出版され続けました。 これら浮世絵の「源氏絵」の種類は、作品数も非常に多く、1枚物の大版、ヨコ版から3枚つづり、中版(大版の半分の大きさ)まであります。
  浮世絵の「源氏絵」には蒔絵をほどこした飾り棚や文箱、ガラスの燭台(しょくだい)、伊万里焼の壺や大皿など、すばらしい調度品も書かれています。 江戸時代は工芸品がより発達した時期ですが、この平和な時代が生み出した「源氏絵」を見れば、江戸の豊かな文化の様相を、しのぶこともできます。
  オランダの画家・ゴッホ(1853〜90)の浮世絵好きは有名ですが、コレクションの9割が歌川派の、そしてその6割がこの「源氏絵」だったそうです。
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCで・同クラブ会員)
2008 VOL.56 NO.9


「木の文化」 日本の入れ歯
大野矯正クリニック院長 大野 粛英
  豊富な木と手先の器用さが結びつき、世界でも類のない「木の文化」を、日本人は持っています。
  その一つが、入れ歯です。 その出現は世界最古で、室町時代末期ごろから仏師により作られ始めました。 江戸時代には「入れ歯師」という専門職が生まれ、全国に普及しています。
  日本の入れ歯の材質は、弾力があり、割れにくい黄楊(つげ)の木を使用。 蜜蝋(みつろう)で口の中の型どりを行い、上あごに食紅を塗り、製作中の入れ歯が当たる部分をみつけ、削っていきました。
  前歯は、抜けた人間の歯・白い蝋石(ろうせき)・動物の骨などを細工して、入れ歯に埋め込み、抜け出ないように前歯の横に穴を開け、三味線の糸を通して結びました。 奥歯は、硬いものでもかめるように平らに削り、小さな真鍮(しんちゅう)の釘(くぎ)が打ち込んでありました。 江戸時代の既婚の女性は、お歯黒を塗る風習があったため、黒柿の木で作った黒い前歯を入れるという、細やかさでした。
  ただし、江戸時代後期、上下の入れ歯で一両三分〜二両(現代の、約40万〜50万円)もするという高級品で、庶民には無縁の品でした。
  材質は現在と異なっていても、精巧にできており、すでに現代の入れ歯と同じように、上あごに吸い付いて落ちないようにできていました。
  この上あごに吸着する理論が西洋で発見されたのは、日本より約150年後の1784年、米国人の歯科医師ガルデッドによる、偶然の発見でした。 それまでの西洋人の入れ歯は、後方部にスプリングを付け、落ちないように支える方式になっていました。
  古い木の入れ歯は、1538年、74歳で亡くなった和歌山市願成寺の尼僧(通称仏姫)が使っていたものが残っています。 柳生宗矩(むねのり)の三男・宗冬や、曲亭馬琴、本居宣長、平賀源内、杉田玄白なども、入れ歯の使用者です。
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCで・同クラブ会員)
2004 VOL.512


ヒトの足
整形外科クリニック院長 東 璋
  私たちの手は非常に巧妙な働きをしていますが、人間の手の進化は、ほとんど終わっているといわれています。 しかし、足の方はまだ進化の途上であり、その証拠として、過剰骨という余分な骨が、足にはたくさんあります。
  近代文明が発達して生活環境が大きく変わり、足が弱くなったと言われます。 しかし、果たして長い人類の流れの中、わずか50年、100年の生活環境で、「退化した」と言っていいのだろうかなと私は考えております。
  手の骨と足の骨は大体同じような仕組みになっています。 手ですと、手根骨といって、ベアリングのような形をした骨があります。 足にも7個の足根骨があって、複雑な動きも可能になっています。 もともと足の構造は手と同じだったのですが、体重がかかるということで400万〜500万年の間に両者の構造はずいぶん変わってきています。
  私たちが歩くときには、母趾(ぼし)は地面を押さえ他の四本の趾(ゆび)は地面をつかむ働きをしています。 窮屈な靴を長年はいていますと、趾は靴の中で地面をつかむ働きができず、そのため足の筋肉が弱くなり、土踏まずが下がり、外反母趾になりやすくなると言われています。
  今は歩くことを散歩といわないで、ウォーキングと言い、皆さんも健康のために実行されていると思いますが、人生の活動期の人は、一日の起きている時間の30パーセントは、歩いているとのことです。 人は、一生の間に9万〜12万キロメートル歩く、と言われています。 そうすると、地球を2.5〜3周することになり、足を見ていると「健気(けなげ)だな」といつも思います。
  患者さんにレントゲン写真を見せると「きれいだな」と言う人と「気持ち悪い」と言う人と、黙っている人がいます。 「きれいだ」と言う人には、「この足で地球を2周半めぐるんだよ」と話すことにしています。
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCで・同クラブ会員)
2003 VOL.51 NO.2


お茶の話
(株)カメガヤ代表取締役  亀ヶ谷邦博
  茶は、南アジア、タイ、雲南省あたりを原産地とし、中国に伝わり、解毒剤として飲まれていましたが、次第に嗜好品(しこうひん)として、流行しました。 8世紀半ば、唐の時代に、お茶について残されている最古の文献として、陸羽が『茶経』を著しています。 ここに当時の茶の起源、つくり方、飲み方などが詳しく収録されています。
  日本には、延暦24(805)年、最澄とともに唐から戻った大僧都永忠が茶の実を比叡山のふもと(滋賀県坂本・日吉大社)に植えたのが始まりと伝えられています。
  喫茶が盛んになってきたのは鎌倉時代からで、臨済禅の栄西禅師が宋から喫茶法を持ち帰り、禅の修業のための清規(しんぎ)(生活の規則)のうちに抹茶をたしなんだといわれます。 栄西禅師の持ち帰った茶の実は、肥前平戸島や筑前背振山に根付き、今も茶の産地となっています。 さらに、京都栂尾(とがのお)の明恵(みょうえ)上人が、この茶の木をもらい受けて育て、これが風土と合い、栂尾茶は「本茶」といわれるようになりました。
  民衆の間には、蒙古襲来の際、奈良西大寺の叡尊(えいそん)僧正による献茶式でふるまったのが初出です。 その後、公家、僧侶、武士たちは、多くの茶を飲み分ける聞茶に興じ、この施設が金閣寺銀閣寺として残っています。 一般の人は、祭礼のときなどの立ち売り茶を楽しみました。
  一方、禅院では儀礼的に飲まれるようになり、「茶の湯」の語も生まれました。 そして、産地も、栂尾から面積の広い宇治に移っていきました。 時代が南北朝から室町、戦国と進むにつれ、「茶の湯」はより高い精神性を持って洗練されていきますが、茶祖といわれる村田珠光(じゅこう)から武野紹鴎(じょうおう)、そして千利休を経て現在に至る茶の道が完成されていったのです。
(第2590地区・神奈川県・横浜港北RCで・同クラブ会員/茶名「宗甲」)
2002 VOL.50 NO.8

曼珠沙華
レイメイ技研工業(株) 代表取締役 田中 昇
  曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、彼岸花、死人花、捨子花、幽霊花、灯籠花(とうろうばな)、剃刀花(かみそりばな)・・・30余りの名前を持つこの花は、9月末から10月にかけて咲く。 真っ赤な花の色が印象的だが、白い花もある。 冬の初めごろから線状の葉を出し、翌年の3月ごろから枯れる。
  ルーツは中国揚子江下流域で、日本には約2500年前の縄文晩期に稲作とともに伝わったという仮説がある。 しかし伝来の経路は不明で、韓国にも沖縄にもこの花の自生地は見つからず、逆に九州北西部に多く自生、また長崎五島列島、対馬に群生していることから、人の手を介在しないで、中国から直接に球根が流れてきた? とも考えられている。
  曼珠沙華は田んぼの畦(あぜ)、土手などに自生しているのをよく見かけるが、この花の球根には約10%のでんぷんが含まれていることから、ある時期まで飢饉(ききん)の際の救荒植物の役割を担ってこれらの場所に栽培されていたのではないか、と想像できる。
「でも球根は有毒では?」と思われる方もいるだろう。 しかし、球根はよく洗ってつぶし、灰汁(あく)で数時間煮た後、水に浸して有毒分を洗い流せば問題ないし、この毒を薬として利用することも可能で、球根の汁ははれ物や疥癬(かいせん)に効くともいわれている。
  この花は墓場の道の辺りにも見かける。 やはり球根が有毒なので、土葬した遺体を荒らす動物を遠ざけるために植えられたのではないか。 ある薬草の本には、壁土にこの草の汁を混ぜれば、ネズミの侵入を防ぐとも書いてあるほど強い毒だから、オオカミ、野犬、その他の動物から墓地の遺体を守るために植えれば、効果があったと考えられよう。
  17世紀末にはこの花は国内に浸透しており、そのころの植物図鑑に「石蒜(せきさん)、俗伝(ぞくにつたう)しびとばな」と載っている。 伝来して2000年以上もたつのに、なんとなく異質な感があるのは仕方ないが、夢を誘う花でもある。
(横浜港北RC会員)
2001 VOL.49 NO.10


仏教伝来と歯みがきの歴史
大野矯正クリニック院長 大野 粛英
  インドにはニームという歯木を噛んで歯をみがく習慣がある。 釈迦は人々を幸福にするため実生活に即した指導や医学的な指導もした。 僧侶は読経や説教の前に手を洗い歯木で歯を掃除する習わしがあった。 弟子の僧侶が口臭がひどいため、釈迦が戒律として歯をみがくことを説いたのである。 つまり、@口気臭わず、A味覚がよく、B熱が消え、C食が進み、D眼がよくなる、と5つの利点があると説いたという。
  唐の僧侶、義浄三蔵はインドで修行して帰国後、歯木で歯を掃除することを紹介した。 ニームは熱帯性植物で中国にはなく、代わりに神聖な木である楊柳が使われ、中国では楊枝と呼ばれるようになった。
  鎌倉時代、道元が中国にわたり、帰国後『正方眼蔵』を著し、その中で釈迦の時代の古法に習って嚼楊枝を日本に紹介している。 当時は牛の角で作った柄に馬の毛を植えた歯ブラシが使われた。 しかし楊枝を使って歯をみがく習慣は僧侶、貴族、武士のみで庶民には広がらなかった。
現在でも真言密教の高野山では、歯木が儀式に使われている。
  歯をみがく習慣が庶民に普及したのは17世紀の江戸時代。 浅草寺境内では楊枝屋が軒を並べ、看板娘を置いて房楊枝や歯みがきなどを販売していた。 江戸っ子は歯が白いのを自慢し、歯の汚れは野暮といわれたため、男は美女を目当てに房楊枝を買いに楊枝店に通った。
  歯みがき粉は寛永20年に、丁字屋はみがきが販売され、明治5年には洋式歯みがき粉が輸入販売された。 福原衛生堂(資生堂の前身)が同21年に、またライオンが同29年に国産歯みがきを発売している。
  中国で発明された歯ブラシは、日本へ直接ではなく、西洋を経て明治初期に開国と同時に伝わった。 現在、房楊枝はすたれ、楊枝とは小楊枝、爪楊枝を意味するようになった。
(神奈川県・横浜港北RC会員・同RCで)
1995 VOL.43 NO.6